見守る月







夕刻に発覚した書類ミスのため、私はまだ隊舎で仕事をしていた。
日は暮れ、他の隊士達はとっくに帰宅している。
自分のミスなので誰のせいにすることもできない。日付が変わるまでには終わるだろうか、と山積みの書類を眺めながらひとり考える。
私はあまりミスをしでかすほうではないが、たまにとんでもない見落としがあったりする。 しっかりしていると思われてどんどん仕事を任されるせいで、自分自分をがんじがらめにしているのも一つの要因だろう。

「――なんだ、まだ残ってたのか。」

ふいに扉が開かれたかと思えば、ひょいと顔を出したのは日番谷隊長。

「お疲れ様です。どうされたんですか?」
「隊首会が終わって帰ろうとしたんだが、まだ明かりが点いてるのに気付いてな。」

わざわざ様子を見に来てくれたらしい。最年少で隊長に就任した天才でありながら、デスクワークや隊士の指導もそつなくこなす頼れる上司。 年下であることを忘れるほどしっかりした人だけれど、以前隊長の好物が甘納豆であることを聞いた時は可愛いと思ってしまった。
彼の事を、尊敬しながらもどこか愛情を持って見ている事に自分でも気付いている、そんな日々。

「遅くまで一人で何やってんだ。」
「ちょっとミスがありまして。なんとか今日中に終わらせたいんです。」
「…他のやつはどうした。」
「え…と、時間がかかりそうなので先に帰ってもらいました。隊長も気になさらないでください。 私のミスですので。」

お疲れ様でした、と帰りを促そうとしたのに、日番谷隊長は私の隣に座り書類を一束自分の目の前にどさっと置いた。

「…どうしたんですか?」
「手伝ってやる。」
「や、でも」
「お前の仕事は俺の仕事でもある。お前のミスは俺のミスだ。」
「…」
「分かったらさっさと手を動かせ。」

ぶっきらぼうな口調ながらも優しさの滲み出るその言葉に、嬉しくて思わず顔が綻んだ。やっぱり頼れる人だ。
よし、と気合を入れ直し、書類に向かう。
隣で書類を捲る隊長の処理能力は私の何倍も速く、あっという間に全て片付いてしまった。
小さな明かりの下、ひたすら文字を追う私たちの間に会話は無かったが、窓からうっすらと差し込む月の光が私たちを暖かく包み込んでいた。
その時、もう少しだけ。このまま時間が止まれば。なんて、私らしくない事を考えてしまったのだ。









お疲れ様でした、と言って隊長を見送ろうとしたのだが、家の近くまで送ってくれるというのでご厚意に甘えることにした。 並んで歩く隊長は私より少し小さくて、申し訳ないような愛おしいような気持ちになる。
伸び盛りの彼が私の背を追い抜く日もすぐに来るのだろう。

「わざわざ送って頂いて、すみません。」
「夜道に女一人歩かせるわけにはいかねぇだろ。」

くっ、と意志とは逆に吹き出してしまった。

「………何が可笑しいんだよ?」
「すみませ…っ、なんでもないです。」

こんな若いのに随分と男らしい事を言うんだなぁ。
ふふ、とまた息が漏れると、隊長は不服そうな顔で私を見上げた。
なんなんだよ、と不満を零すも、隊長はそれ以上追及せず、道端で寂しそうに転がっている石を軽く蹴る。
私の身代わりとなったその石は、ころころと地面に円を描いた後で小さな溝に落ちた。

「もうこんな時間か。腹減ったな。」

隊長は伝令神機で軽く時間を確認してから言う。
その言葉に、鞄の中身を思い出しごそごそと目当ての物を探った。

「日番谷隊長、これ、良かったらどうぞ。」
「……なんだこれ、甘納豆?」
「はい!お好きなんですよね?」
「…なんでこんなもんが鞄に入ってんだよ。」
「私も好きなんです。疲れた時は甘納豆。いつも持ち歩いてますよ。」

そうか、と少し笑ってからそれを一粒口に運ぶ。 お前も食え、と言われたので隊長と同じように甘納豆が詰められた袋に手を伸ばしたが、不運にも地面に真っ直ぐ落ちてしまった。 ドジな奴だな、と私に笑顔を向ける彼につられて笑う。 これではどちらが年上か分かったものではない。
月の光が優しく照らす道を、好物を食べながらゆっくりと歩く。 仄かな甘さを口の中でじっくりと噛みしめるが、いつも以上に甘く、美味しく感じる。
不意に日番谷隊長が口を開く。

「お前に、異動願いが来てるんだ。」

(………――え?)

護廷十三隊入隊時からずっと日番谷隊長の下で働き、五席に登りつめた。 これからもそうだと思っていた。異動願い?そもそも、突出した能力も功績も無い私に、どうして?

「三番隊の三席だそうだ。」
「三番隊…?」
「お前にとっちゃ悪い話じゃないと思うが。」

三番隊と言えば、変わり者と名高い市丸隊長率いる隊。市丸隊長を見かけた事は何度かあるけれども、関わった事は全く無い。 それなのにどうして…まして三席だなんて。寝耳に水とはまさにこのこと。
いずれにせよ、私は異動願いを受けるつもりはない。三席だろうがなんだろうが、他の隊に行くつもりは毛頭無い。私は日番谷隊長の下で一生を終えたい。

「市丸の野郎、うちの隊舎に来た時見かけたお前の事を気に入ったらしい。 三番隊は男が多いから容姿の良い女を入れたいだと。全く、あいつは仕事を何だと思ってるんだ。」
「……私…」
「まぁお前は勤務態度も申し分ないし能力も充分にある優秀な隊士だ。」
「隊長、あの」
「三席でも充分やっていけると思うが、」
「お断わりし」



「俺がはっきり断っておいた。」



呆気にとられて隊長を見る。
立ち止まり、半分ほど残った甘納豆の袋を私に押し付けながら、照れくさそうに視線をよそにやり言う。

「悪いな。生憎俺はお前を手放す気はねぇ。……市丸のとこになんか絶対やらねえよ。」
「それは……、私が、優秀な隊士だからですか?」
「違ぇよ。俺が、お前を……」

そう言いかけて、私の手から小さな袋をがしっと奪い取る。

「――行くぞ。」
「日番谷隊長、今なんて言いかけたんですか。」
「うるせぇ。さっさと帰るぞ。明日も仕事だろ。」
「どうして私を手放す気はないんですか。」
「…」



月の光が優しく照らす道は、私たちの前にどこまでも続いていた。














2013/5/20
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